人世一夜の日登美荘
第1話
僕が正義で君が悪 [#1]
「あぅ!?」
情けない声を漏らして日之本正義はつんのめり、そのまま倒れ込んでしまった。一般的な二十代の青年とは思えない鈍くささだ。背負っていたデイパックがずれて後頭部にぶつかった。こきゅっと足首をひねったのは彼の不注意によるものだが、それを100%責めるのは少し酷かもしれない。なぜなら、目に飛び込んできた光景がかなり奇妙であったのだから。
彼が町枝駅の東口を出たのは午後1時20分。季節は春、日射しは柔らかく、気温もぽっかぽか、とても心地よい日であった。
町枝駅は私鉄の小田頭
「イー!」
全身黒タイツの男だった。
誰!? 日之本は息を飲んだ。人を見た目で判断してはいけない――理屈ではわかっていても感情が許さない。とにかくあからさまに怪しい。何しろ全身黒タイツ!
彼らは広場で通行人たちに何かを配っていた。日之本は「はて、あれはいったいなんだろう」と気を取られたところ、ほんのわずかの段差につまづいていたという次第だった。幸いケガはなさそうである。少ししびれている足首をさすりながら立ち上がろうとしたとき。
「大丈夫ですか?」
優しい声が聞こえた。顔を上げると女性が立っていた。身にまとっているのはピンクのボディーコンシャススーツ。バイザーと尖った2本の角がついたヘルメットをかぶり、後ろから腰まで届く長くふさふさの黒髪が飛び出ている。そして、背中のマントを春風がパタパタとはためかせていた。
「は、はあ、大丈夫です」
日之本はかろうじて答えた。
「それはよかった」
黒タイツ男同様に怪しい格好の女性は手を伸ばすと、片手で日之本の腕をつかんで、
「よーいしょ!」
と、軽々と持ち上げて立ち上がらせてくれた。意外と腕っ節が強いのかもしれない。
「ど、どうも」
「おケガがなければ何よりです。よかったらどうぞ」
女性はにこりと笑うと、もう片方の手に持っていた紙を1枚差し出してきた。日之本は反射的に手を伸ばして紙を受け取って目を落とした。
【悪の組織、元気です! この街を征服します!】
『クリーナー』はその名のごとく、汚れてしまった世の中を美しくするという崇高な目的を持って結成された悪の組織です。使い古された言葉ではありますが、必要なのは絶対的な支配と服従。まずは町枝市を征服させていただきます。つきましては執行にあたって地域住民の方々のご協力をお願いしたく、ご挨拶申し上げます。
秘密会社クリーナー拝
「なんだ、こりゃ?」
「この街を征服させていただく宣言です!」
女性はよくぞ聞いてくれましたといわんばかりのしたり顔で言う。日之本は聞きたいことがたくさんあった。
『あなたは誰ですか?』
『黒タイツたちの関係者ですよね?』
『どうして、そのような格好を?』
『いつからここに?』
『つまり、ここで何を?』
『この紙は何?』
『今、何やらすごいこと口にしましたよね?』
結局、数が多すぎて収拾がつかなかった。そのため、
「征服の、宣言?」
半ば条件反射のように女性の発言を繰り返した。一番無難な返事には違いない。それを受けて女性は誇らしげに笑った。
「はい。我々、悪の組織『クリーナー』は今まで密やかに準備をしてきたのですが、今年度から積極的に活動を開始することになりました。そこで、まずは宣言から始めたところなのです」
「は、はあ」
「そう、いよいよです。いよいよなのです! 水面下から水面へ浮上。水面から大空へ飛翔。この街を征服するのです!」
女性は既に悲願達成とでも言いたげに、堂々と胸を張った。
「ですから、まずは我々の活動内容について、ご理解ください」
そう言うと彼女は両手を身体の前で重ねて丁寧にお辞儀をした。
「あ、ど、どうも」
日之本もほぼ直立不動の状態から深くお辞儀を返した。そんな彼を見て、女性はくすりと笑った。
「では、失礼いたします」
女性は踵
「よろしくお願いしまーす」
「イー!」
ああ。日之本はやっと合点がいった。かなり奇抜な宣伝なのだ。あの格好は話題作りのためのパフォーマンス。意表を突かれたので確かに効果はあるかもしれない。
しかし。日之本は再び手元の紙を見て「街を征服」だの「悪の組織」だのという物騒な言葉の意味をしばらく考えた。もしかして、これは本当に……?
と、その時である。