人世一夜の日登美荘
第1話
僕が正義で君が悪 [#2]
ジリリリ。
ジーパンの後ろポケットの中のクールフォンが昔ながらのベル音を響かせて振動し始めた。日之本はポケットに手を伸ばした。
ジリリリリリリ。
そのわずかな間にも着信音はどんどん大きくなり、振動もやたら激しくなっていく。
「ジリリリリ!」
あっという間に電子音が甲高い女性の声に変わった。字面どおりの『ジリリリリ』という発音である。
「ジリリリリリリリリリリリリリリリリリィ!」
電子音を表現する「呼び出し声」はしつこく響き続け、わずか5秒ほどで大声になった。
「ああ、わかってる、わかってるって!」
急いでクールフォンを取り出して通話ボタンを押した。しかし、声は途切れない。
「ジリリリリリリリリリリリリリリリリリィ!」
「うるさいよ! 出ただろ! もしもし!」
「ジリリ! おっそーい、一生懸命呼んでるんだからさっさと出なさいよねー!」
電話口の向こうからアイベリーの声が聞こえてきた。アイベリーはクールフォンに常駐している人格を持つAIである。つまり、アイベリーは最初の1コールだけは設定された電子音を再生したのだが、途中から自分でしゃべっていたのだった。アイベリーは開口一番、日之本の対応の悪さに文句を連ねた。
「どうせ、きれいな女の人とかに見とれてて出られませんでしたーとか、そーんなくだらねー理由なんでしょー」
「そんなことはないっ」
一瞬、先ほどの女性の姿が脳裏をよぎったが日之本はすぐに打ち消した。そんなんじゃない。
「いつでもすぐに電話に出られるとは限らないだろ。今も転んだところだったし」
「転んだ? そういやさっき一瞬揺れた気がしたと思った。気をつけてよ? クールフォン、壊したりしないでね? アイの死活問題なんだからね?」
矢継ぎ早にまくし立てるアイベリー。
「わかっている! それより用件はなんだ?」
「そろそろ着いた頃かなーと思ったんだけど。さて、どうだろ?」
アイベリーはそこまで言うと、突然、クールフォンの液晶部分からひょっこりと頭を出した。
「わ!」
日之本は驚いてクールフォンを耳から遠ざけた。しかし、アイベリーはおかまいなしに続けて腰の部分まで身を乗り出し、興味津々の風体で辺りをキョロキョロと見渡した。
「おおっ、もう着いておるではないですか!」
街並みを目の当たりにしたアイベリーは、いつものように無駄なリアクションを取って驚いた。
くせっ毛気味で少しはねている髪。ポップでカラフルでさっぱりとしたモード系の最先端ギャル……というコンセプトの服装。この少女の姿が高機能AIであるアイベリーが持つ自分自身のイメージだ。
だが、これはホログラフが投影されているのである。要はアバターだ。アイベリーの実体はクールフォンのメモリーの中に量子及び理論として存在している。しかし、どうあれクールフォンから女性の上半身が飛び出て、しかもぴょこぴょこと動いているのだから、端からは間違いなく異様な光景に見えるだろう。日之本は周りの様子を窺いながらアイベリーを叱った。
「迂闊に飛び出すなよ。こんな技術、まだ開発されてないんだ。騒ぎになる」
「大丈夫、大丈夫。見られたってどうってことないよ、すごいガジェットだなって思うだけだって。そもそも人間ってのは自分以外にはまったく無関心なんだし、誰もアイたちのことなんか見てないって」
「……そんな気もするけどダメ」
「ほほう、想像以上に駅前は栄えておるのじゃなー」
アイベリーはきょろきょろと辺りを見回した。
「ホログラフのくせして見えるのかよ」
「なかなかいい街っぽいね! オッケーオッケー♪」
くるりと360度回転して再び日之本に顔を向けたアイベリーはにっかりと笑った。
「まさかとは思うが、結局、用事はそれだけか?」
「まっ、あ、ねへぇ〜」
「まっ、あ、ねへぇ〜、じゃないだろう。こんなことでいちいち呼び出すな」
「だって、これからアイが住む所でもあるわけだし、気になっちゃってなっちゃって。昨日からドキドキしっぱなしなんよ。ほら、ほらっ」
アイベリーがくねくねっと腰を振る。同時に日之本の手の中でクールフォンがぶるぶると振動した。
「うっとうしい。余計なことはしなくていい」
「こうでもしないとアイは有機的表現ができないっていうのに……アイが頑張っても全然認めてくれない!」
突然、眉を寄せて険しい表情をするアイベリー。しかし、
「ま、いっか。電池の減りも早くなっちゃうしねー」
あっさりと話題を変えた。そういう性格である。他人の話など聞きやしない――日之本は心の中でため息をついた。アイベリーは腕を組んで目を閉じ、うんうんとうなずく。
「とにかく楽しそうな所で安心したよ。駅前が一面、畑と田んぼなんてことになってたらどうしたもんかと思ってたんだ」
「このへんじゃ、そんな駅の方が珍しいよ」
「よかったよかった。これなら大きなメディアショップがあるに違いない。忘れてないよね、この前、超大型バッテリー、買ってくれるって約束したでしょっ」
「覚えている。忙しかったんだって言ってるだろう」
「超絶貧乏だから……じゃなくて?」
「うるさい。忘れてはいない。なんとかする。信じろよ」
「……そう。なら、いいんだよ。もう、減りが早くて早くて」
「さっきみたいに無駄にブルブルするからだろ」
「ねーねー、ちょっと街の中、見物してみない?」
アイベリーはまたも話題を変えた。とにかくそういうAIである。
「ほら、どこに何があるか知りたいでしょ」
「気になるけど、それよりも入居先を確認する方が先」
「合理的な意見ではある。仕方ない。じゃー、しばらく休んでるから、潜伏先に着いたら教えて」
日之本が「人聞きの悪い事を言うな」と言いかけたときには、アイベリーは通話を打ち切り、さっさと引っ込んでしまった。ため息をついて日之本がクールフォンをポケットにしまったときである。警察官が3人、黒タイツ男のそばに歩いていった。ひとりは年配で、もうふたりは若手だ。
「こらこら、だめだよー、ここでビラ配りなんかしたら」
そう言ったのは顔をしかめた年配の警察官だ。黒タイツ男はビラを配る手を止めて警察官に相対した。
「イー!」
「いや、禁止されてるの。いけないの」
「イー!」
「構内もそうだけど、ここもだめなの。だいたい許可を取ってないでしょ」
「イー!」
「そうでしょ? こちらには連絡来てないし」
「イー!」
「いや、そういうことじゃなくて! だめだって言ってるの!」
警察官と黒タイツ男が激しく問答を始めた。話を聞くに、どうやら無許可で宣伝をしていたらしい。だが、黒タイツ男はひるむことなく、握りしめた拳を派手に振り回して抗議を続けた。
「イー! イー!」
「あぁっ、もう、話が通じない! 責任者は誰! どこにいるの!」
「どうかなさいましたか」
騒ぎを聞きつけて先ほどのボディコンスーツの女性が警察官の前に歩み寄った。警察官が彼女をじろりと睨む。
「あなたが責任者? ダメだよ、こんなことしちゃ」
「何を言っているのですか?」女性は首をかしげた。「確かに一般の方々の場合はそうかもしれません。ですが、我々は悪の組織なので、かまわないのです」
「あ、悪の組織でも、ダメなものはダメ!」
「それは悪の組織の論理ではありません。ですから、従う必要もありません」
毅然とした態度に警察官は気圧された。一瞬、自分が間違っているのだろうかと考えてしまったほどだった。それだけに彼の口から咄嗟に出た言葉はありふれたものになってしまった。
「な、なんなんだ、こいつらっ……」
「よくぞ聞いてくださいました。我々は悪の組織『クリーナー』! そして、私は『シャイニング・レディ』と申します!」
「いや、名前を聞いたわけじゃなくて、なかば独り言だったんだけど……とにかく無許可のビラ配りは禁止。さっさと解散しなさい」
「融通の利かない方ですね」
「どっちがだ!」
シャイニング・レディは眉根を寄せて唸った。
「できれば話し合いでなんとかしたかったのですが仕方がありません。かくなる上は強硬手段を執らせていただきます!」
シャイニング・レディは警察官との会話を一方的に断ち切り、それまでじっと成り行きを見守っていた黒タイツ男たちに命令した。
「やりなさい、戦闘員たち!」
「イー!」
彼らは一斉に走り出した。丁度、駅に電車が着いて多数の乗客が改札口から出てきたところだった。そして、黒タイツ男たちは今までとは比較にならないスピードで、降りてきた人たちにちらしを配り始めたのだった。
「イー!」
「あ、どうも……」
「イー!」
「え? この街を征服?」
「イー!」
「何? バーゲンのちらしじゃないのー?」
戦闘員たちは華麗に宙を舞った。くるくると回転し、鮮やかに着地した後、通りがかった人たちを一人も逃さずロックオンして次々と紙を配る。恩師に花束を贈るがごとく丁寧に、または女性に指輪を贈るがごとく鮮やかに。さながらサーカスのショーのような見事さである。
「わ、わぁぁっ、やめろ、やめろぉ! ビラを配るのは禁止だ!」
この非常事態に警察官たちは慌てふためき、大声で制止の声を上げたが、戦闘員たちは当然のごとく彼の言葉を無視した。
「イー!」
「や、やめるんだ! おい、取り押さえるぞ」
「は、はい!」
実力行使、警察官たちは戦闘員を取り押さるべく走り出した。
その様子を見ていた日之本は慄然とした。なんということだ! この紙に書いてあるとおり、こいつらは本物の悪の軍団だったのだ! こんなひどい悪事を働くとは! 日之本は歯を噛み鳴らした。
その時、またクールフォンが震えた。日之本がポケットからクールフォンを取り出すと、今度は通話ボタンを押す前にアイベリーが飛び出してきた。
「そうそう、さっき言い忘れてたんだけどさー、道すがらメディアショップを見つけたりなんかしたら、寄り道してみるのも悪くないかなーって思うんよ、ほら効率化を考えるとね。アイが欲しすぎてたまらなーいとか思ってるわけじゃなくてね……って、あれ? どしたの? さっきのアイみたいにブルブル震えちゃって」
「あ、あ、あ……!」
「あああ?」
「た、た、た……!」
「たたた? あたたたた?」
「大変だっ……あ、悪の軍団が現れた!」
「うえ!? 悪の軍団!? まじぃ?」
「まじ!」
アイベリーは振り向いて、ちょっとしたアトラクション会場と化している改札口前に目を向けた。
「で、あれが……そう? 大道芸じゃなくて?」
「あれが、そう! 大道芸じゃなくて!」
「はぁぁぁ〜。こりゃまた、すっごいなぁ〜」
「感心してる場合かよ」
「そりゃ、感心もするって。かなりインパクト強いし、見た目楽しそうだし」
「だから、そういうことじゃなくて!」
「はいはい、わかってるーって。で? 悪いヤツらなんでしょ。アンタはどうすんのかな?」
「もちろん……決まっている! 悪は倒すものだ!」
「やっぱ、そうなるんだろうね」
日之本が正義の味方ジャスティーダである事を知っている数少ない味方、アイベリーはつぶやいた。幸い人々の目は戦闘員たちの方に向けられていて、日之本に注意を払う者はいなかった。好機である。日之本は駅に向かって走り、トイレに飛び込んだ。途中でまた足首をひねりかけて転びそうになったがなんとか持ちこたえた。個室に入ると日之本は背負っていたデイパックを開け、ジャスティス・スーツを取り出して叫んだ。
「常着! ジャスティス!」
そして可及的速やかに着替えを始めた。シャツを脱いでズボンを下ろし、全身スーツに手足を通す。スーツ着用後、強化グローブとブーツを身に着けてマントを羽織る。最後に額には大きな“J”の文字がついたマスクをかぶった。
そして、バックルのスイッチを入れる。瞬間、彼の身体を光が包んだ。すると、スーツが伸縮して彼の全身にフィットした。頭部のマスクは膨らんで硬化し、ヘルメットに変わった。
「究極ヒーロー、ジャスティーダ!」
変身を終えた日之本改め、ジャスティーダはポーズを取った。
「はい、92秒。なかなか60秒きれないね」
アイベリーが混ぜっ返す。
「早着替えは難しいんだよ」
「とにかく、頑張ってね。くれぐれもアイを壊さないでね!」
「ああ! まかせておくがよい!」
アイベリーは手をひらひらと振ると引っ込み、日之本はクールフォンを腰の耐震ポケットに突っ込んだ。アイベリーはこの上ない貴重品であり、重要なナビゲーターでもあるため、クールフォンだけは持ち歩くことにしているのだ。続けてトイレを出ると空いているコインロッカーを見つけてデイパックを放り込み、広場へ戻った。