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ゲームライフ・ゲーム

亜麻矢幹のエンタメコンテンツ

人世一夜の日登美荘
第1話
僕が正義で君が悪 [#6]


 日登美荘。
 それがこれから日之本が住むアパートの名前である。築50年とかなりの年代物の割にはこぎれいで、特別に古くさいという印象は受けない。敷地に足を踏み入れると女性が立っている。
「あら?」
 ふわりとした優しい声が響く。日之本に気がついた女性は彼の顔をじっと見つめた。きれいな女性である。ストレートの長い髪、服装は鮮やかな色のワンピース。日之本は彼女とどこかで会ったことがあるような気がしたが、いまひとつ思い出せなかった。
「もしかして、新しく入居される日之本さん?」
「あ、はい」
 女性はにっこり微笑むと日之本の前にぱたぱたと走り寄り、丁寧にお辞儀をした。
「私はこの日登美荘の大家をしております、園川綾乃そのかわあやのと申します」
「はじめまして、日之本正義です」
 日之本もほぼ直立不動の状態から深くお辞儀を返した。綾乃はくすりと笑うと小さくつぶやいた。
「そうでしたか……あなたが……」
「え?」
「あっ、いえいえ、なんでもありません……ええと……そうそう……あの後、大丈夫でしたか?」
「あの後?」
「あっ、いえ……駅で……そう、今日は駅でちょっとした事件があったんですよ」
 日之本はぎくりとした。一連の正義の味方と悪の組織の激突のことだ。できれば話題にはしたくなかったが、既にかなりの騒ぎになってしまった。もしかしたら知らないふりをする方が不自然かもしれないと思い、取り繕うことにした。
「ああ、もしかして……正義の味方と悪の組織が戦ったってやつですか。俺はすぐに避難したので大丈夫です」
「それならよかった。けっこう派手なぶつかり合いでしたからね」
「俺も遠目で見てただけなんではっきりとは知らないんですが……さっそうと登場した正義の味方が、悪の組織の非常識な活動を阻止したとか」
「はい、悪の組織による懸命な活動を、乱暴極まりない正義の味方が妨害したという話でした」
 会話が途切れ、ふたりは無言で見つめ合う。
「俺、乱闘が始まる前にその悪の組織から妙なちらしをもらったんですけれど……」
「そうでしたね」
「え?」
「あっ、いえ。あそこにいたなら、受け取っただろうな、と」
「ああ、はい……で、そのときは、まさかあんなことになるとは思いませんでしたが……」
 日之本が言うと綾乃は小さくため息をついた。
「……まずは市民との相互理解を、ということで、最初の1歩。ちらし配りから始めたのですよ」
「そう、駅で無許可でちらしなんか配って……」
 日之本も渋い顔をする。
「本当にひどい悪事を行なっていたな」
「あ! そう思われますか?」
 すると、綾乃は途端ににこやかに微笑んだ。
「もちろんですよ。あんなに自分たちの悪事を主張するなんて! まったく、よくやりますよ」
 日之本は眉をひそめながら声を荒げ、拳をぎゅっと握りしめた。
「はい! ほんと、よくやりました!」
 綾乃は満面の笑みを浮かべて、拳をきゅっと握りしめた。そして思った。
(今日初めて会ったばかりの日之本さんのような方にも、認めてもらえている。やはり、あの宣伝作戦、効果は抜群だったみたいです)
 そのとき日之本はこう思った。
(『クリーナー』……なんて傍若無人で極悪非道なる連中なんだ。この街でずっと暮らしている大家さんだって、こんなに迷惑しているじゃないか)
 一瞬、ふたりは共に自分だけの世界に入っていた。
(そして、特にやっかいそうなのが、あの女幹部……)
(ですが、やっかいなのは、あの正義の味方……)
「シャイニング・レディ……か」
「ジャスティーダ……か」
 ふたりは同時につぶやいた。とてつもない障害が現れたという点において、思いは同じだった。ふたりはゆっくりと顔を見合わせると、同時に我に返った。
「あ! ごめんなさい! こんな所で立ち話なんかしちゃって。お部屋にご案内しますね」
 綾乃は改めて姿勢を正した。
「いえ、俺の方こそ。よろしくお願いします……うわ」
 綾乃が先導し、日之本が後ろについて歩き出そうとしたとき、またもどんくさく、日之本はつまづきかけた。心配して綾乃は振り向いた。
「大丈夫ですか?」
「実はさっき足首をひねってしまって」
「足首を?」
 綾乃の眉がわずかに歪んだ。
「ちょっと踏ん張りが利かなくって……やはり、くせになってますね、いえ、平気です、痛いわけではないし、すぐ治ると思います」
「そうですか……それなら……いいんですけれど……」
 小さくつぶやくと、綾乃は慌てて再び前を向いて歩き出した。日之本には、なぜ綾乃の顔が曇ったのか思い至るはずもなかった。そして、般若のように険しくなった顔を見ることもなかった。さらには、彼女の心の奥ですさまじい憤怨の炎が燃えさかっていたことも、その原因となった無礼な正義の味方の姿が彼女の脳裏にちらついていたことも知りようがない。もちろん、この園川綾乃こそが、先ほど死闘を繰り広げた当の相手であることにも気づいていない。
 そして、これまた当然のごとく、綾乃も日之本の正体に気がついていなかった。
 こうして彼らの日登美荘での奇妙な生活が始まった。



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