人世一夜の日登美荘
第5話
Lead or Die [#2]
そんな漫才が繰り広げられていたとき、新たに入店してきたふたりの女性客がいた。まほとしもべである。
「むおぉ、これが人間界の書物か。さまざまな傾向は、刻魔界と同じじゃな」
まほは所狭しと並んでいる本を見回して感心した。しもべがうんうんとうなずく。
「人の歴史の結晶です」
「真じゃ。わくわくするの! しかし、これだけ多岐に情報があると何から見たものか悩んでしまうな」
「まほ様……あっち」
周囲を観察していたしもべが男性客の集中しているエリアがあるのに気がつき、まほに進言した。
「なんじゃ、あのエリアだけ、妙に男たちが集まっておるな」
「ということは……もしや、男を惹きつける書物が?」
「ふむ、そうかもしれぬ。では、それを研究すれば日之本殿へのアピールに役立つに違いあるまい」
「さすが、まほ様……お目が高い」
得意そうに胸を張るまほと、小さく拍手をするしもべ。すぐ隣で立ち読みをしていた男性が何事かと思い一瞬だけ振り返ったがすぐに目をそらした。そして、歩き出そうとしたまほたちは壁に貼られた張り紙に目をとめる。
「何か注意書きがあるな。『未成年の方はご遠慮ください』……はて、どういうことじゃろう?」
「子供に見せる意志はない……ということでは」
「ぬ、こちらの世界でも、そのような区別をしておるのだな」
まほの脳裏を刻魔界でのいやな想い出がよぎった。侍女たちはまほを子供扱いし、何かしようとする都度、お嬢様がもう少し大きくなったら、と取り合ってくれなかった。まほが既に自分は大人であると自覚していたのにである。ひどい話ではないか。まほはそのことをずっともどかしく思っていた。
「しかし、わらわはもう名実共に大人である。だからこそ、こうやって人間界に来ておるのじゃ」
まほは拳を握りしめた。
「かまわぬ。そのような大人どもの不条理な企ては、わらわには通用せぬと思い知るがよい」
「うんうん」
しもべもうれしそうにうなずいた。まほをずっと見守ってきた従者としてまほの成長が頼もしくあった。
「では、行ってみるとしよう!」
「行ってみるとする……です!」
意気込んだふたりは、その場所に足を踏み入れた。
「むぉ!? ここにある本はなんじゃーっ!?」
「うわっ……な、なんだっ!?」
突然、すぐ近くで少女の奇声が上がったわけで、自分の世界に入っていた男性たちが当然のごとくものすごい勢いで驚いた。
「じょ、女性の裸だらけではないかーっ!」
「ぽろりだらけです! えーと『くりーみーメンチ』、『DXダイナマイト』、『全国風俗巡りベスト100』……それと」
まほが叫び、しもべが目に入ったタイトルを次々と読み上げる。周囲の男性が息を飲み、手に取ろうとしていた雑誌を慌てて棚に戻す。
「なんということじゃ! 確かにこーんなエッチな本が、こーんなにたくさん並んでいれば、男どもがわんさか寄ってくるに違いあるまい!」
「なるほど。これらの本は男性の欲望を的確に刺激するものであったと」
「ぬうう、だが、そのような安易な頭を持った男など要らぬっ! このようにエッチな本を、隅から隅まで舐めるように見回して、頭の中をエッチなことでいっぱいにしているエッチな男どもに価値などあるものかっ! 魅力的な女性が男性を惹きつけるのは当然のことであろうが、そこで本能を剥き出しにして女性に劣情を催す下品極まりない男どもに、存在意義などあろうはずがない!」
まほは大きな声でまくしたてた。怒髪天を衝かれたかのようなすさまじい勢いである。もちろん店内である。
「お、お客様っ」
騒ぎを聞きつけ、若い女性店員が走り寄ってきた。名を冨永梨花という。日之本と同じく学生で、久松書店でのサブチーフを務めている明るく快活な女性である。が……。
「むぅっ、なんじゃ、そなたは!」
まほは富永を睨みつけた。冨永は多少ひるんだが、接客用のスマイルを絶やすことなく、まほの説得にかかった。
「他のお客様のご迷惑になりますから、こちらへのコーナーの立ち入りはご遠慮くださいっ」
「なにー、迷惑じゃとっ!? 戯れ言をっ! こんなエッチな本を置いたのはそなたかーっ」
「えっ!? わ、私が望んで置いているわけではありません」
その間に男性客は手に取っていた雑誌を全て棚に戻し、こそこそと帰っていった。「す、すみません……また来ます」「し、失礼しましたっ」
「あ、お、お客様っ」
「あのようなエッチな者どもは放っておくがよい! それよりもそなたじゃ! こんなにたくさんエッチな男を集めて、いったいそなたはどうするつもりなのだ!」
「私の意志ではありません!」
もともと温厚で人当たりのよい冨永だが、すっかりスマイルを忘れて頬を引きつらせ、大声で己の潔白を示した。まほと冨永が議論を交わしている最中、しもべは、雑誌の中身を眺めていろいろな知識を蓄えていた。
「おぉー……これは大きく、こちらは小さい……なるほど、いろいろあるのです」
* * *
いきなり店内に怒声が響き渡り、日之本はぎょっとした。内容はよくわからなかったが、エッチがどうのと聞こえてきたと思ったら、すぐさま冨永が目の前を走っていった。
「なんだろうね?」
アイベリーがポケットからひょっこりと顔を出した。
「この街はどこに行っても騒がしいね。アンタ、ほんとにここで働くの?」
「働くよ。ばりばりな」
「これ以上、やっかいごとが起きなきゃいいけどね」
「お待たせしました」
と、そこに綾乃が戻ってきたので日之本はアイベリーを隠した。
「ごめんなさい、レジが混んでて遅くなってしまいました」
「ああ、いや、全然。なんてことはないです」
何の騒ぎか気にはなった日之本だったが、とりわけ今のところ野次馬をすることもないと判断した。ふたりは店を出て、漫画談義をしながら、日登美荘に戻った。
綾乃は終始楽しそうだった。
* * *
夕方、日之本は日登美荘に戻ってきたまほとしもべに会った。まほは非常に機嫌が悪く、頬をこれでもかというほど膨らませていた。しもべもその態度に合わせ、腕を組んで口をへの字にしていた。
「お、お帰り……どうしたの?」
「おお、日之本殿……!」
ぶつぶつつぶやいていたまほは日之本を見つけるとまくしたてた。
「本当にかんかんのぷんぷんなのじゃ! あの店員の無責任なことといったら……それにあの店主も全然融通が利かぬ!」
「まったくでございます」
しもべもぶんぶんとうなずいた。
「何かいやなことがあったんだね」
「そうなのじゃ! 実はの……」
まほは言いかけたが、はっとして首を横に振り、日之本を見つめた。
「いや、なんでもないのじゃ。このようなこと、わざわざ日之本殿に話すようなことではない。日之本殿はあのような者どもとは違う」
まほは自己完結した。
「今日はエレガントな情報を得ようとしたのであるが……得るものはなかった。まあよい……明日はきっちりと学習するとしよう」
「それがよろしいかと」
またもぶつぶつ言いながら、まほとしもべは部屋に帰っていった。結局、何がなんだかよくわからない日之本だった。