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ゲームライフ・ゲーム

亜麻矢幹のエンタメコンテンツ

人世一夜の日登美荘
第5話
Lead or Die [#3]


 そして翌日、学校を終えた日之本は久松書店に初出勤した。小柴や冨永たちと挨拶を交わして制服のエプロンを着用する。
「うん、よろしく頼むね」
 そう言った小柴の声には張りが無い。顔もどことなくやつれているように思えた。
「なにやら、お疲れのようですね」
「昨日、ちょっと面倒ごとがあって……いや、もう忘れよう……せっかく熱血青年が来てくれたことだし」
 小柴は自己完結した。日之本は少しだけ気にかかったが、ともあれ、満面の笑みを浮かべて「頑張ります」と宣言した。
 日之本はまず仕事に慣れるためにと本棚の整理を指示された。はたきで埃をはらい、空いた場所に本を詰める。一見簡単そうな見える仕事だが、本にもいろいろ種類があってなかなか大変な作業である。作業の最中、ポケットからアイベリーがひょっこり顔を出した。
「エプロン姿、なかなか似合っているね」
「そいつはどうも。これからばりばり働くのだ。いや、働いている。進行形だ」
「あいあい。しっかり稼いでね」
「日之本さん」
 アイベリーが引っ込んで日之本が気合いを入れた矢先、背後から優しい声がした。綾乃だった。
「あれ、今日もですか」
「ちょっとお散歩がてら寄ってみました。それで今日は……これ……」
 綾乃は棚を軽く一瞥すると、棚からごっそりと10冊ほどの漫画を手に取った。
「え、まとめ買い?」
「昨日買ったものを読んでたら……つい熱が入ってしまって……」
 つまり漫画を読んでいるうち、飢えに拍車がかかったという話であった。そこで選んだ手段が大人買い。タイトルは『絶叫教室』。
「前から気になってたんです。マンドラゴラが教師をするっていう話で」
「ああ、あの奇抜なやつですね……」
 これも日之本は知っていた。そう言うと、綾乃は感動した様子で小さく「理解者、理解者」とつぶやいていた。
 少し話しただけだが、綾乃が相当な漫画フリークなことはわかっている。日之本は改めて大げさだなと思ったが否定はしなかった。
「それにしても、その調子だとずいぶん買ってるんじゃ……本棚がすごい事になってませんか」
「それなりですけど……本棚3つくらい埋まってる程度ですからたいしたことはないですよ」
「充分、たいしたことになってると思いますよ」
「日之本さんは漫画は買わない派ですか?」
「買わない派……ですね」
 また不思議な派閥があるものだと思いつつ答えた。
「知り合いに見せてもらったり、通学中に電車の網棚に捨てられてるものを取ってみたり……。だから、連載ものはストーリーがわからなくて読み飛ばす事も多いんですけどね。せっかくならきちんと読みたいなって思う事があります」
 そこまで言ったとき、日之本は綾乃にじっと見つめられているのに気がついた。どぎまぎする日之本とは裏腹に、綾乃は深々とうなずいた。
「そうなんです。特に週刊なんて、一週読み逃したら……もう、それはそれは大変ですもの。私もそれで何回、悔しい想いをしたか。だから、私はリアルタイムは諦めて単行本でまとめて読む事にしたんです」
「まあ、俺もコミックカフェにでも行けばいいんでしょうけど……」
 しかし、現在、日之本にそこまでの余裕はない。時間の都合もあれば、何より予算の都合があるのだ。半ば綾乃がうらやましくもあった。『園川式漫画論』を熱く語った後、綾乃は再び日之本を見つめた。
「よければ、今度、私の漫画を貸しましょうか」
「いいんですか?」
「もちろんです。布教活動。趣味は偏ってますけどね」
 三度みたび綾乃は笑った。礼を言い、日之本も一緒に笑ったときである。
「あの……日之本君」
 いつの間にかそばに立っていた小柴から声を掛けられ、日之本はびくりとした。
「一応勤務中だから……彼女と話すのは仕事の後にしてくれるかな」
「す、すみません!」
「あっ、ごめんなさいっ」
 日之本と綾乃はそろって謝る。その直後、綾乃は、
「えっ? か、彼女……って、わ、私は……」
 ひとり、もごもごと口の中で何かつぶやいた後、目を泳がせて黙り込んだ。
「じゃ、じゃあ、私は……これで」
 そして、何かを取り繕うようにぺこりとお辞儀をすると、コミックの束を抱えてそそくさと逃げるように立ち去っていった。日之本は何か考えそうになったが、やはり雑念は振り払って仕事に励むことにした。



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